※本記事は「意味生成フェーズ―― 行動が『説明され始める』とき」に続く一編です
行動は、意味を得ると安定する
前稿で扱った〈意味生成フェーズ〉では、
行動はまだ流動的でした。
人は動き、
あとから「たぶん、こういう理由だった」と説明を与える。
その説明は、行動を正当化するためというより、
世界と自分を接続し直すための仮の橋のようなものです。
しかし、この橋が何度も使われると、
次第に様子が変わり始めます。
意味は「仮説」ではなく、
定義として振る舞い始めるのです。
意味が「答え」になった瞬間
意味生成が続くと、
ある地点で、次の変化が起こります。
ここで意味は、もはや振り返りの言葉ではありません。
次の行動を縛る前提条件になります。
私は、こういう人間だから
これは、私にとって大事なことだから
ここは、譲れないところだから
これらは一見、自己理解が深まったように見えます。
しかし構造的には、別のことが起きています。
意味が、行動を“説明するもの”から
行動を“制限するもの”へと役割を変えているのです。
自己固定化フェーズとは何か
この段階を、ここでは
自己固定化フェーズと呼びます。
特徴はシンプルです。
循環は止まったわけではありません。
ただ、同じ軌道だけを回り続ける循環に変わります。
本人の感覚では、
と感じられることが多いでしょう。
それゆえ、このフェーズは
「安定」「成熟」「確立」と誤認されやすい。
固定化は、悪ではない
ここで重要なのは、
自己固定化を否定しないことです。
固定化は、
に、不可欠なプロセスでもあります。
問題は、固定化そのものではなく、
それが起きていることに無自覚なままになることです。
意味が前提化したまま年月が経つと、
人はこう感じ始めます。
何かが違う気がする
でも、変え方が分からない
変える理由すら、説明できない
ここで初めて、次の揺らぎが生まれます。
循環が止まるとき、何が残るか
自己固定化フェーズの終盤では、
行動も意味も、あまり更新されません。
残るのは、
外側から見ると、安定しています。
内側から見ると、摩擦のない停滞です。
この摩擦のなさこそが、
次のフェーズへの入口になります。
次稿への接続
次に訪れるのは、
固定された意味が、静かにズレ始める地点。
次稿では、この 意味の亀裂 を扱います。

