人は、意味によって動いているように見える。
けれど実際には、多くの場合、行動が先にあり、意味はあとから編集される。
前稿では、
行動が安定して反復されることで、
それが「自分らしさ」や「価値観」として語られ始める地点を扱った。
この稿では、その次の段階を見ていく。
意味は、語られ続けるうちに、
次第に行動を支えるものから、
行動を縛るものへと変質していく。
それが、自己固定化フェーズだ。
意味は「説明」から「規範」へ変わる
最初、意味はただの説明にすぎない。
後付けで、整合的に語られる物語。
この段階では、意味は柔らかい。
行動が変われば、語りも自然に更新される。
しかし、語りが繰り返され、
他者に共有され、
自分自身にも何度も再生されると、
意味は次第に規範の顔を持ち始める。
自分は、こういう人間だ
だから、こう振る舞うべきだ
ここで意味は、
「理解のための言葉」から
「守るべき前提」へと変わる。
行動の自由度が、静かに失われていく
自己固定化は、劇的には起きない。
むしろ、とても静かだ。
ここで重要なのは、
誰かに縛られている感覚がないという点だ。
縛っているのは、
外部のルールでも、他者の期待でもない。
自分自身が語ってきた意味である。
「自分らしさ」は、檻として機能し始める
このフェーズで起きているのは、
自己理解の深化ではない。
むしろ、自己像の硬化だ。
こうした内的言語は、
一見すると一貫性や軸のように見える。
だが構造的には、
それは過去の行動を未来へ延長するための装置だ。
意味が未来を開くのではなく、
過去を保存するために使われ始めている。
自己固定化は「失敗」ではない
ここで誤解してはいけない。
自己固定化フェーズは、
悪いものでも、避けるべきものでもない。
むしろ、
これらを生み出す、
非常に合理的な心理構造だ。
人は、完全な流動性には耐えられない。
ある程度、自分を固定しないと、
判断コストが高すぎる。
問題になるのは、
固定されていること自体ではない。
問題は「固定されていることに気づけない」こと
自己固定化が機能不全を起こすのは、
それが透明化したときだ。
ここでは、
行動が意味に従っているのではなく、
意味を守るために行動している。
順序が、逆転している。
固定化は、次のフェーズへの入口でもある
自己固定化フェーズは、
循環が止まる地点であると同時に、
次の変化が準備される地点でもある。
意味が硬直し、
行動が窮屈になり、
違和感が無視できなくなったとき。
人は初めて、
この意味は、どこから来たのか
本当に、今の自分に必要なのか
という問いを持ち始める。
その問いが生まれるまで、
固定化は必要だった。
意味は、行動を支え、
やがて行動を縛り、
そして再び、問い直される。
この循環そのものが、
人間の自然な認知運動だ。
次稿では、
固定化が揺らぎ始める瞬間──
意味がほころび、再編集が始まるフェーズを扱う。
その地点で、人はようやく、
「意味を持つ存在」ではなく、
意味を生成し続ける存在であることに気づき始める。

