少し前まで、確かに動いていた。
意味も行動も、噛み合っていたはずだった。
けれど、いつの間にか同じ説明を繰り返し、
同じ理解に戻り、同じ場所に立ち尽くしている感覚が残る。
それは「停滞」ではない。
循環がある地点で固定されてしまった状態だ。
このフェーズで起きていること
自己固定化フェーズでは、次のような現象が同時に起きる。
ここで重要なのは、
何かが間違っているわけではないという点だ。
むしろ、理解は整っている。
整いすぎている。
循環が止まるのは、理解が不足したときではない。
理解が「定着しすぎた」ときに起こる。
固定化は「失敗」ではない
多くの場合、この地点はネガティブに語られる。
だが構造的に見ると、
自己固定化は 循環の自然な副産物 だ。
意味を生成し、
行動と接続し、
一定の成果や安定を得たとき、
人はその構造を「保持」し始める。
保持は、防御ではない。
保存だ。
なぜ循環は止まるのか
循環が止まる理由はシンプルだ。
この瞬間、
循環は回り続けているようで、実際には同一点をなぞる。
円運動ではなく、点運動になる。
循環は、問いが閉じた瞬間に平面化する。
自己語りが強くなる理由
自己固定化フェーズでは、
自己語りが非常に安定して聞こえる。
それゆえに、
本人も周囲も「完成」に見えてしまう。
だがその安定性は、
外部との摩擦が減った結果でもある。
摩擦が減ると、熱は生まれない。
熱がなければ、変形も起きない。
固定化は「悪」ではないが、終点でもない
ここで誤解してはいけない。
自己固定化は、
壊すべきものでも、否定すべきものでもない。
ただし──
住み続ける場所でもない。
この地点は、
- 休憩所
- 中継点
- 一時的な形状
であって、最終形ではない。
固まることは、止まることではない。
「次にほどける準備」が整った状態だ。
次に起こること
自己が固まったあと、必ず起こるのは次のどちらかだ。
- 固定を守るために、外部を拒み始める
- 固定が崩れ、再び意味がほどけ始める
前者は防衛のループへ。
後者は、再意味化フェーズへ入る。
次稿では、
この「ほどけ始め」を 自己否定ではなく、構造変化として捉える視点 を扱う。
次稿:自己がほどける瞬間
── 固定が崩れるとき、人は何を失い、何を得るのか

