今回は、私が最近出会ったイソップ物語の寓話で人生の気づきのきっかけがありましたので、それについてのお話をしていきます。
私のこれまでの生き方
私は、幼い時から人の期待に応えること、人からどう思われているかを第一に考えながら生きてきました。それは私が与えられていた環境で生きていくためには、必要不可欠なことであったのかもしれません。
ただ幸か不幸か、その判断基準に自分自身が気づいていなかったのです。他人のために決断したことであるのに、「自分が決めた」「自分がそうしたかったからそうした」と錯覚していたのだと思います。
それが「良いこと」なのか「悪いこと」なのかは分かりません。ただ、間違いなく言えることは「私の深層心理は、我慢を強いられていた」ということだと思います。
私は幼い時から、環境のせいにすることをひどく嫌っていたので、私の深層心理には申し訳ないことをしたなとは思っています。
なるべくしてうつ病になったのかも
そんな状態なので、もしかするといつかうつ病になることは仕方がなかったことなのかもしれないと、今では思います。あくまで「今では」です。そして3年が経ち、「意地でも克服してみせる」という気持ちもあります。
うつ病になって以来自分の人生を見つめなおし、自分軸に再構築する作業を続けてきました。他人軸だったものを自分軸に変えることは生き方、考え方を変えることになります。それでも今は、その作業は私の深層心理に近づいていく作業のように感じています。
これって、もしかすると思春期とかにやる作業なのかもしれませんね。まあ、生き方は十人十色。私の人生にとっては、今のタイミングでやるのが最善なのかもしれません。
そして出会った寓話
私は知らなかった
私は幼い時によく絵本を読み聞かせてもらっていました。その中には、シートン動物記やイソップ物語なども含まれていたのですが、なぜかこの寓話には出会ったことがありませんでした。本が好きで、持っていた本は同じ本を何十回、何百回も読む性格だったので忘れているということはないと思うのですけど。
ロバを売りに行く親子
皆さんはご存知でしょうか。ロバを売りに行く親子のお話。ロバを売りに市場へ向かう父と息子が、道行く人の意見に振り回されてしまうという物語です。
- 最初は二人で、ロバを引いて歩いています
通りすがりの人は、「せっかくロバがいるのにもったいない。どちらか乗ればいいのに。」と二人を馬鹿にします。 - それを聞いた親子は、息子だけがロバに乗ることにします
通りすがりの人は、「なんて無礼な息子だ。年老いた父親を歩かせ、自分だけ楽をしている。」と息子を非難します。 - それではこうしようと、今度は父親だけがロバに乗ることにします
通りすがりの人は、「なんてひどい父親だ。子どもを歩かせて自分だけ乗るなんて。」と今度は父親を非難します。 - そういうものかと、次は親子二人でロバに乗ることにします
通りすがりの人は、「ロバがかわいそうだ!二人も乗って重すぎる、動物虐待だ。」とまた二人を非難します。 - 仕方がないと、ついに二人でロバを担いで歩くことにしました
通りすがりの人は、「なんて馬鹿な人たちだ。ロバに乗らずに、ロバを担いで歩いているぞ。」とロバの使い方をしらない愚か者だと馬鹿にします。
【結末】
結局、周りの意見にいちいち合わせて行動を変えた結果、最後はロバを川に落として失くしてしまい、ロバを売るという目的を達成できませんでした。
私のスタンス
「目的を忘れるな」とか、「周りに振り回されるな」という教訓で使われることが多いようですね。以前にトヨタの社長が引用したこともあるようで、なぜ私がこの話に出会っていなかったのかと不思議にはなります。
私の生き方は多分、今までこれに近かったんだろうなと思います。私は素直ではないので、言われた意見の取捨選択はします。ただ、私の心や行動のステークホルダー的な母や先生や上司などの意見は、基本取り入れていたように思います。
「あなたがそう言うなら、その方法をとりますね。その方法を前提としますが、細かいやり方はこちらで決めさせてもらいます。」
という感じだったんだと思います。言葉にも態度にも出しません。自分がそういうスタンスなことに気づいていないので。
私自身は、「二人でロバを引いていく」という方法が最善だと思っている。けども、私の心や行動のステークホルダー的人物が「二人でロバに乗っていくのが最善だ」と言うのであれば、その方法を採用する。ただし、当初の予定よりも途中の休憩を増やしたり、当初必要としていなかったロバ用の水や食料は準備させていただきます。そんなイメージです。
幸運にもそう言われて変更した方法でも今まで目的は達成し続けてきていたので、そのスタンスに気づかなかったのでしょう。
人生は自分だけのもの
私は、この話を読んだ時に「結局、みんな文句言ってくるんだな。」と思いました。文句ではなく、無責任な親切なのかもしれません。きっとこの親子は、自分達で事前に色々考えて最善の方法でスタートしたはずなのに、言われたことを気にして行動を変えてしまっています。
でも、私は「一番考えているのは、自分なんだからそんな言葉、聞き入れる必要はない。」と思います。それは過去の私にも同じことが言えます。通りすがりの人々は、その場の思い付きで言葉を発しているはずです。そして、通り過ぎた後は数分後には忘れているはずです。「そういえば、そんな親子いたかも。」くらいなものでしょう。その日の夜の食卓の話題にのぼればいい方だと思います。
それなのに通りすがりの人々の意見を聞き入れてしまい、結局損をしたのは親子だけです。通りすがりの人々は親子が損をしたことを知りませんし、損をしたことを知っても「私は関係ない。」というに決まっています。
環境や状況により、自分よりも優先すべきステークホルダーがいることはあるかもしれません。ただ、その意見を言う人が通りすがりの人なのか、優先すべきステークホルダーなのかは見極める必要があると思います。そして忘れてはいけないことは、最後にすべての責任を負うのは結局自分しかいないということです。優先すべきステークホルダーがいたのだとしても、そのステークホルダーでさえ、責任をとってくれることはありません。
私はうつ病になりましたが、当然誰も責任を取ってくれることはありません。闘病するのも、生活を立て直すのも、結局は自分です。
ちなみに、今までこのような生き方をした結果、与えられた条件の中で何かを成功させることはすごく得意です。代わりに、何かを成功させるために必要な条件をゼロから提示することはすごく苦手です。
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