お彼岸ですね。母が住んでいた家の庭にも、赤や白の彼岸花が咲き乱れています。今回は、そんなお彼岸やお盆など、この世とあの世のつながりを感じる季節に思い出すお話をしていきます。
ちなみに、私は無宗教です。古くからある日本文化の一つとしてお彼岸やお盆のお話をしていますので、もしかすると各宗教関係者の皆様には無礼なこともあるかもしれません。その点、多様性ということでご容赦いただけますと幸いです。もちろん、私はどの宗教も否定するつもりはございません。それも多様性だと思いますので。
生きているとお金がかかる
決して裕福な家庭ではなかったので、常日頃「生きるには、お金がかかるなあ。」という場面にはたくさん出会います。それは高校を卒業して以来、大学の学費や生活費を自分で稼ぎ始めた頃から変わることはありません。
日本は最近、物価高に苦しんでいます。ますますそれを感じる瞬間は増えているように思います。母は2年前に亡くなりましたが、今母が生きていたならばさらに苦しい生活をさせていたのかもしれないと思うと、なんとも複雑な気持ちになります。
母が亡くなる前、一緒に買い物に行った日。母は「もうすぐ、家にあるお米がなくなる。」というので、一緒にお米を買いに行くことにしました。片方は普通のお米5㎏、1,760円。もう片方はそれより少し高いお米5㎏、1,990円。その差は230円。
私はお金に余裕がない生活を送っているのは確かですが、毎日食べるもの。その230円はケチるべきではないお金だと判断します。その瞬間の喉の渇きを潤すための缶ジュースに使う230円の価値とは違うと判断するからです。
しかし、母は迷っている様子。ただ、明らかに1,990円のものを欲しがっています。おそらく230円高いことで躊躇しているのだと思います。母は離婚しているので、年金は月額50,000円しかありません。それ以上の生活費はすべて私が賄っていました。そのため、遠慮もあったのだと思います。
「こっちがおいしいと思うなら、こっちにすればいい。毎日食べるものだし。」と言いつつ、1,990円のお米を持ち上げて買い物かごに入れます。
母は一瞬嬉しそうにしますが、「お米がおいしいと、おかずが少なくて済むからね。」そう言い訳をしつつ申し訳なさそうにしました。
その言葉が、2年以上経っても忘れられません。230円のことで言い訳をさせてしまうような生活をさせたことが、悔やまれるというか。でもそれが私の精一杯でした。
それから間もなく母は亡くなりました。その時、台所にはその時のお米が3㎏程度残った状態でした。
今やお米は5㎏で5,000円程度します。安いものでも4,000円近く。母が生きていたならば、私はそのお米を買ってあげることが出来たのでしょうか。そして、母は「買ってほしい。」と私に言ったのでしょうか。考えても仕方ありませんが、どうしても考えずにはいられません。
死んでもお金がかかる
母の死後、母をあの世に送り出すために様々なことがありました。それにも多くのお金がかかりました。棺代、御花代、火葬代、車代、言い出せばキリがありません。
今回は本題ではありませんので、細かくは書きませんが相当かかりました。そして、お願いするところによって、金額が違いすぎる。総額で3倍ほどの金額差がありました。
ただ最後にお願いできたところは、丁寧に誠実に母を送り出してくれました。心から感謝しております。
あの世でもお金がかかる?
そんな感想を持っていたので、Xか何かで「あの世から帰ってくるのもお金がかかるのではないか?」という話を見た時は、正直「あり得なくはないな。」という感想でした。
そこから私の妄想は広がります。
お盆やお彼岸などの時期は、あの世にある旅行会社が格安チケットを販売していたり、バスツアーのようなものを乱発していたりする時期なのかなとか思ってしまいます。
ちなみに、
お盆は「ご先祖様が帰ってくる」期間、お彼岸は「私たちがご先祖様のいる世界に近づく」期間、そんな感じでしょうか。
この2つの時期ではこの世でいう、ゴールデンウイークや正月にある出国ラッシュのようなものが起きるのではないかなとも思いました。メインはお盆だけど、お彼岸に帰る人もいるよ、みたいな違いもあるかもしれません。確かにお盆やお彼岸の時期は、この世に来ている方々はいつもより確実に多いように感じます。
そして、どうしてもこの世にいる人に伝えたいことがあるなどの特別な場合には、回数券がある気もします。まとめて買うとお得です。そんなシステムもきっとあるのでしょう。亡くなってすぐの時期は、期間限定割引のようなものでサービスが手厚かったりとか、新加入割引みたいな制度もあるのかもしれません。
そう考えると、お盆やお彼岸の時期が限られていたり、その時期だけあの世の方々が多かったり、「最近、頻繁にあの人のことが頭をよぎるな。」というような現象にも説明がつく気もします。
直接この世に来る夢枕に立つようなことと、テレビ電話のように夢の中に出るのではやはり値段が違うのでしょうか。
そんな不謹慎なことをつい考えてしまう私ですが、私の母はこちらに来ることはほぼありません。夢にもあまり出ませんし、気配を感じることもありません。あちらの世界でも、お金に困る生活をしていないか、つい心配してしまいます。あちらの世界には、祖父母や、叔父叔母もいるのでそうではないことを願うばかりです。
そんな母ですが、赤とんぼとして飛んでくることはあるようです。昔から、蛍になって帰って来るなんて逸話も良く聞きますよね。母は赤とんぼのようです。
昆虫や鳥などの姿で帰って来る場合、料金は少し安くなるのでしょうか。自分で移動しないといけない代わりに、ツアー代金よりも少し安上がりになるような感じなのでしょうか。
赤とんぼは、母が亡くなった日、お盆やお彼岸、私の誕生日には必ずどこかから1匹だけ飛んできます。そして私の近くにとまって、ずっとこちらを見ているのです。
特に話しかけられるわけではありませんが、話をしてほしそうにこちらを見ています。仕方なく私も話しかけます。今年のお盆は、30分くらい話しかけてましたかね。風が吹いても全く飛ぶ気配もないんです。
ちょっと長いなとも思いましたが、わざわざお金を出して自分で飛んで来ているのであれば、おもてなしをするのが礼儀というものでしょう。そしていつも、しばらく話をしたあとは満足そうに飛んでいき、もう見ることはありません。あの世までどのくらいの距離があるのかは知りませんが、きっと帰りの渋滞などに巻き込まれないように、頑張って移動していくのだと思います。
せめてあちらの世界では、お金に困ることのない生活を送っていることを願うばかりです。
ちなみに、これは今年のお盆のうちの母です。

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