今回は夢を叶えるということについて、私の考えをお話していきます。
夢を叶えるのを邪魔する人々
夢を叶えようと頑張っていると「そんなにうまくいかないよ」とか、「うまくいかなかったらどうするの?」とか、「なにをバカなことを」と言う人が必ずいますよね。自分が挑戦できていないので嫉妬で言う人。非現実的だと小馬鹿にして言う人。親切心でアドバイスのつもりで言う人。理由は様々です。私の母は、息子がおかしな道を進まないようにとすべてを否定しました。母からすれば、それは親切心。絶対にうまくいかないから、安定した普通の道を進ませるために必死に否定し続けました。それが良い行動かどうかは今回のテーマではないので、触れないでおきます。
飛行機は飛ぶ
私は夢を叶えるということは、飛行機を飛ばすことと同じだと思っています。
私の住んでいる町は、すぐそばに空港があります。日常的に飛行機の離着陸を見ることになるわけですが、いつも思います。
「あんな鉄の塊、よく飛ばせるなあ。」
物理の原理を学んでいれば、飛ぶ理由は分かりますし飛ぶことに不思議はありません。ただし、原理を知らなければあんなに大きくて、しかも素材は金属。人間の重さでもジャンプする高さはたかが知れているのに。その人間を載せて空高く飛び続ける飛行機は不思議でなりません。
すごく大きくてかなり重い鉄の塊が、滑走路を走る姿は迫力があります。かなりのスピードで走ります。それでもその姿を初めて見る人は、これからそれが空に舞い上がるなんて思ってもみないでしょう。
飛行機が飛ぶことを知っているから、滑走路を走っている姿を安心して見れるのだと思います。
夢との共通点
夢も同じだと私は思います。例えば「歌手になりたい」という人がいるとします。その人は、叶えるつもりで滑走路に立ちます。しかし、周りで見ている人はその人が歌手になれるとは知らない。だから、事故を起こさないように「なれないんだからやめなさい。」「本当になれるの?」と心配をしながら見守る。彼らは、その滑走路に立つ姿を初めて見るから、飛べることを知らないのです。
その周りの声は、滑走路を走っている間は当然やむことはありません。さらに、地面から車輪が離れた後もやまないでしょう。飛行機は高度を上げ始めるまで、少しの間低空飛行します。そして関数グラフのように、ぐんぐん高度を上げていくのです。その低空飛行を見て、「墜落するからやめなさい」と言う人が現れるのです。
コクピットからの景色
滑走路の入り口まで
これをコクピットの景色で見てみると、よりイメージが鮮明になります。
あなたは、飛行機を飛ばそうとしている。滑走路の入り口まで、徐行しつつたどり着きます。それは自分の夢を見つけることであり、入り口にたどり着くだけでも大変な作業です。
自分の夢はなんだろう。
何が向いているのだろう。
自分は何がしたいのだろう。
たくさんの自問自答を繰り返し、ようやく滑走路の入り口にたどり着きます。それまでの間に、
「あなたは○○になりなさい。」
「あなたは●●が向いているから、●●がいいよ。」
「△△なんてやめなさい。向いてない。」
「▲▲なんて、なれるわけがないよ。」
本来進みたい滑走路の入り口とは反対方向に矢印が向いた看板や、入り口に向かう道を塞ぐ障害物が置いてあったりします。
そんな看板や障害物に騙されたり、心くじけたりすることなく滑走路の入り口に進む必要があります。
入り口ですべきこと
ようやく滑走路の入り口にたどり着いたあなたは、滑走路の先を見据えます。ここで、滑走路はどの方向を向いているのか、どのくらいの長さがあるのか、平坦なのか、障害物などの気を付けるべきことはないかを確認して判断します。
それは、夢に向かうための計画でもあり道筋をしっかりと見据えることと同じです。ただ闇雲に走り出すと滑走路を外れてしまうかもしれません。途中で、滑走路が曲がっているかもしれません。よけることが不可能な大きな障害物があるかもしれません。飛び立つために、どの滑走路をどうやって使うかを事前に確認しておくことは非常に大切なことです。
助走
そして、あなたは滑走路を使って助走を始めます。ここで必要なのは覚悟です。滑走路の長さは限られています。だらだら走っていては飛ぶ前に滑走路は終わります。ジェットエンジンを全開にして、しっかり加速する必要があるのです。そこに躊躇や様子見は無用です。エンジン全開で加速を始めたら、エンジンを弱めることもブレーキを踏むことも飛ぶための妨げになります。
しかしここであなたはいろんな人の声を聞くでしょう。
「本当に飛べるの?きっと飛べないよ。」
「恐らく助走が足りないと思う。」
「その先、障害物があるよ多分。」
「飛んだ先になにかあるの?」
周りの色んな人の声が聞こえます。その声を聞いて、エンジンを弱めたくなったりブレーキを掛けた方がいいかもと不安になることでしょう。その人々はあなたのことを思って教えてくれているのですから。
それでもエンジンは全開で進むべきです。なぜなら、その声の主たちはあなたが飛べるかどうかを知らない人達だからです。彼らは物理の原理を知りません。飛行機がなぜ飛ぶのかを知らない人達です。初めて見た飛行機が飛ぶなんて信じられないので、危ないと思って声をかけているのです。そして、滑走路の状況も知りません。障害物があるかどうかなんて知らないのに、あるかもしれないと声をかけてくるのです。あなたの方がよっぽど滑走路を確認しているにも関わらず。
飛んだ先に何があるかなんて誰も知りません。いいじゃないですか、何があっても。あなたが飛ぶと決めたのだから。その先になにがあるのかを確認しに行くのです。
コクピットの中からの声
そんな声に負けることなくエンジン全開で進みます。ここで場合によっては、周りからではなく副操縦士からの声が聞こえてくるかもしれません。生計を共にしている家族や、大切なパートナーです。あくまで操縦桿はあなたが握っています。でも、あなたが飛び立てなくて事故を起こした場合、副操縦士は機内にいるのであなたと一緒に事故にあいます。事故が起きようが起きまいが被害がない周りの人々の声とは聞こえ方が違うでしょう。
副操縦士は2パターンに分かれることでしょう。1パターンは、
「周りの声なんて気にするな。進め!」
と、共にエンジン全開をキープしてくれるパターン。このパターンは非常にありがたいです。あなたと心を一つにして、文字通り運命共同体として応援してくれます。あなたは安心してエンジン全開をキープできるでしょう。
もう1パターンは、
「エンジン弱めようよ。」
「ブレーキかける?」
と心配してくるパターンです。あなたを心配して言っているのですが、あなたが事故を起こせば巻き込むことになる相手の言葉です。簡単には無視できないことでしょう。しかも相手はあなたの大切な人です。悲しませたくはない相手。この言葉を聞いて、迷ってしまうこともあるかもしれません。
ただ、あなたが飛び立てばその相手も一緒に空に舞い上がることができることを忘れてはいけません。
負けない覚悟
迷いが出れば、離陸に必要な速度に到達できないかもしれない。そうなれば離陸をあきらめて止まるわけですが、その時周りは
「やっぱりね。」
「ほらみたことか。」
「だから言ったじゃない。」
そう言うでしょう。
エンジンを弱めなければ飛び立つことができたはずだったとしても。そして、彼らはなんの責任も取ってはくれません。新しい滑走路なんて準備してくれないし、別の移動手段をくれるわけでもありません。
周りは無責任。言いたいことは好きなだけ言って、あなたを迷わせます。でもその迷いのせいで起きた損害については「あなたのせいでしょ。」に決まっています。
物理の原理も、滑走路も、飛び立った先にあるものもなにも知らない人々です。自分が飛ぶと決めたのならば、そんな声に負けない覚悟が必要です。
離陸
そしてようやく地面から車輪が離れます。離陸です。しかし、突然高角度で上がっていくことはできません。急激に上がれば、失速して墜落します。徐々に上がっていくことが必要なのです。
それでも周りの無責任な人々は、
「ほら、飛んでも低空飛行じゃないか。」
「それじゃ大空なんて無理だよ。」
「早く地面に戻らないと落ちるよ。」
そんな言葉を並べます。この頃には、「飛べるかも」と期待してくれる人が増え始めているかもしれません。
「あと少し。頑張れ!」
の声も混ざっていることでしょう。
あなたがすべきことは、エンジン全開。操縦桿を下げないこと。空だけをしっかり見つめることです。
それが出来れば、飛び立つことができます。
責任の所在
夢を叶えようとすると、笑ったりバカにしたりする人は必ずいます。それは残念ながら避けることはできません。その状況で飛ぶ必要があります。
飛行機は飛びます。そして、飛行機を飛ばしたことがある人もいます。周りに飛ばし方を知っている、飛んだことがあるパイロットがいれば心強いことでしょう。
しかし、操縦するあなたが飛ぶかどうか心配している飛行機は飛べないかもしれない。
飛ばないかもしれないとビビッてしまって、エンジンを8割くらいの出力にしたり、途中で方向転換しようとブレーキを踏めば飛ぶことはできないのです。
周りからいろんな声は聞こえますが、結局は自分自身を信じることができるかどうか。自分が飛ばそうとしている飛行機という夢を信じることができるかどうかにかかっています。
自分の人生、責任を取ってくれる人は自分以外には誰もいません。
コメント