本記事は「自己評価の内部構造 — Thought Design Series」の一編です。
基礎概念は「参照枠と自己評価の構造」から読むと、理解がより立体化します。
自己像は“固定された性格”ではない
—— 状態として立ち上がる「自己」の構造
私たちはしばしば、自分のことを「性格」や「気質」といった、
一貫した属性の集合として捉えます。
・私は気が弱い
・私は自信がない
・私は人に合わせやすい
・私は考えすぎる
こうした言い方は直感的で、分かりやすい反面、
まるで「自己」が
ひとつの“固定オブジェクト”として
そこに存在しているかのように見えてしまう
という構造的な誤差を生みます。
しかし実際の内側で起きていることは、もう少し違います。
「自己」は常に“ある状態として”立ち上がっている
自己は、常に同じ形で存在しているわけではありません。
・状況が変わると、振る舞いも変わる
・相手が変わると、自分も変わる
・一人のときと、集団の中で違う
これは、
「人格がブレている」
というよりも
「立ち上がる自己の“配置”が変わっている」
と捉えた方が、構造としては近い。
自己は“固定された核”というより、
その瞬間の条件の組み合わせによって
前景化してくる側面が変わる
— そうした「状態の現れ方」に近いものです。
・自己は属性ではなく「状態として現れる」
・状況に応じて「前景に出る側面」が変わる
・人格がブレているのではなく「配置が変化している」
という理解の方が、実情に近い — それがここでの出発点です。
「本当の自分」は、いつも“ひとつ”ではない
自己を固定的に捉える前提には、
どこかに「本当の自分」があり
それに近い状態が“正しい自分”
という感覚が組み込まれています。
しかし、内側を静かに観察していくと、
・ひとりでいるときの自分
・安心できる相手といるときの自分
・評価を意識する場面の自分
それぞれのあいだに、
「どれが本物か」を一意に選べないような感覚が立ち上がります。
それは、
いくつもの「自分の可能状態」が
同時に内側に存在している
という構造に近い。
ここで重要なのは、
それらは「どれかが偽物」という関係ではない
という点です。
自己は「単一の本体」ではなく
複数の“可能状態”が重なり合った全体
という理解の方が、内側の実感と整合する。
ここから先では、
その中で、どの状態が前景化してくるのか
という 「選ばれ方の構造」を見ていきます。
「どの自己が前景に出るか」は、配置によって決まる
その場で前景化する自己は、
・他者からの期待の気配
・評価の視線の有無
・過去の経験の記憶
・安全かどうかの判断
といった複数の要素によって
静かに“配置”されています。
つまり
「自信がない人だから」
自信のない振る舞いをしている
のではなく、
その場の条件が
“自信のない自己状態を前景化させている”
と捉えた方が、因果としては近い。
私たちは
・弱いから弱くなるのでも
・強いから強くなるのでもなく
その瞬間の文脈配置の中で
どの自己状態が前景に選ばれるか
という構造の上で生きています。
ここで見えてくるのは、
行動や反応は「性格の証明」ではなく
その場の配置が前景化させた「状態の現れ」
という視点です。
次の節では、
前景化しなかった「別の自己状態」は
どこへ行くのか?
その残り方の構造を見ていきます。
前景に出なかった自己は、消えているわけではない
ある場面で前景化しなかった自己状態は、
・なかったことになるわけでも
・否定されて消えるわけでもなく
視界のすぐ後ろ側に“退いている”
という位置にとどまっています。
・表に出る自己
・後景へ退いている自己
それらは対立ではなく、
配置の違いとして
同じ内部に共存している
という関係です。
ときどき、ふとした瞬間に
「あのとき、別の選び方もできた気がする」
という感覚が立ち上がるのは、
後景に退いていた自己状態が
再び“少しだけ前へ戻ってくる”から
と捉えることができます。
自己は固定された性格ではなく
その場の文脈によって配置される“状態の集合”であり
前景と後景のあいだを静かに入れ替わりつづけている
—— 本稿で扱ったのは、その出発点となる構造です。
次稿では、
「どの自己状態が前景に選ばれるのか」を
決定している 評価の枠組み に踏み込みます。

