今回は、私が20年以上前に受け取った言葉についてお話をしていきます。それはよくある言葉なのに、私は長いことその真意を誤解していました。そんなお話です。
大学卒業後、初めての会社
大学を卒業し、無事に就職した私。営業会社だったので、完全実力主義です。学歴も社歴も関係なければ、営業成績次第で役職の降格もあるような会社でした。
朝は比較的遅く、10時朝礼ではありました。ただ、営業の練習や準備で9時前後にはだいたい全社員揃っていたように思います。そして、営業活動で外回りをして会社に戻って来るのが夜22時頃。それから日報などの書類を書いて、翌日の準備や営業の練習をして帰宅します。日付が変わるような日も珍しくありませんでした。今では考えられないような環境ですが、初めての会社なので「そういうものかも。」という感覚でした。
母子家庭でしたし、周りに会社員として勤めている身内が居なかったのです。ただ、その会社で多くのことを学びましたし、今でも「あの会社に、入社するべきではなかった。」とはまったく思いません。密度の濃い時間を過ごしていたので、今思えば通常の会社での経験を3倍速以上で積めていた気がします。そして、頑張った分は確実に評価してもらっていたのはありがたかったです。
4月に入社して、その年のお盆に久々に大学の同級生や高校の同級生と会いました。その時の衝撃は今でも忘れません。友人は、地元老舗企業、大企業、気象庁などの官公庁、様々なところに就職していました。そしてみんな口をそろえて、「会社慣れた?俺はやっと慣れてきたよ。」という話や、「今度さ、初めて1人で仕事任せてもらうことになってさ、緊張する。」という話で盛り上がっています。
話を合わせることができませんでした。私はすでに、5人の部下を持っており、部下の中には年上の社員も多くいました。部下を持ち始めてひと月程度とは言え、いくら考えても同級生の感じている感情が、どの時期の自分に当たるのかが分からなかったのです。「自分がすごい」とか「相手がすごい」とか、会社のシステムの違いがあるからとか、その時の私にはすべてが見当がつかなくて黙ってしまったのをはっきりと覚えています。
お盆休み明けに会社でその話をすると、「そういうものだ。」と言われました。年功序列の日本らしい大企業とは異なり、完璧実力主義を採用して大きくなった会社だったので、先輩社員たちも似た経験をしていたようでした。テレビCMもしていて、ほぼ全都道府県に支社があるような会社でしたが、一般的にイメージされる会社とは違うのだとその時ようやく理解しました。道理でドラマで出てくる「アフター5」「お局さま」「ねちねちした同期のポスト争い」「上司が帰らないと部下は帰れない」のような、「会社あるある」が理解できないわけだと、妙に納得しました。
頑張ったら評価される
それからも友人と話が合うことはなかったので、だんだんと疎遠になってしまいました。そして、頑張った分、入社した時の上司が部下になり、給料も歩合制で上がっていき、月単位でポジションが上がっていきます。母を養うために営業会社に入ったこともあったので、ひたすら期待に応え続けました。文字通り、血を吐くような努力はしましたけども。
それまで以上に大きな支社に異動することになり、他県に引っ越しもしました。そして会社の期待に応えるために、朝8時くらいからの会議に出席し、帰りは夜中の2時や3時という生活を長期間過ごしました。台風の日は、緊急対応のために暴風雨の中1人びしょ濡れで出社しました。休みの日は、夕方まで死んだように眠り、夕方から次の週の準備をするために出社します。勤務日は1日16時間、休日は1日8時間会社にいて働くことが日常でした。
それは、強制ではなく自らの意思でした。やりがいを感じていたのだと思います。あと、感覚はバグっていましたね。今はもちろん、法的にもコンプライアンス的にも、様々な面で100%アウトです。私も、もう二度とやりたくはありませんが、それで自分の存在価値のようなものを感じていたことは間違いないと思います。その後に活かせる経験と勉強はさせてもらいました。
その時に渡された言葉
そんなある日、同じ会社の先輩から1枚のポストカードをもらいました。その頃は、相田みつをさんのような詩を書いたカードが流行っていた時期でもありました。その方が出かけた休日に、私のために買ってきてくれたカードでした。
「あなたの代わりは 誰もいない」
カードには、にっこり笑顔のお地蔵さんの絵と共に、この言葉が書いてありました。
その方は、私が大学を卒業して新卒で入社した時からの先輩でした。途中で別々の支社に異動になっていた期間はありましたが、そのカードを頂いた時点で、私の全2年程度の勤務期間のうち1年半程度、共に働いている戦友のような先輩でした。
その先輩は、にっこりと微笑みながら私にこのカードを渡してくれました。
その真意を語ることはありませんでしたが、おそらく働きすぎる私を見て「もっと自分を大事にしろよ。」とでも言いたかったのではないかと思います。
今なら、分かります。
間違って受け止められた言葉
しかし、その頃は私は必死にがむしゃらに働いている時期です。
「母を楽に生活させなければならない。」
「会社の期待に応え続けなければならない。」
そう思っています。
そして、私は決意してしまいます。
「自分の代わりが誰もいないと言われるほど、有能で万能な社員として、私しかできない仕事をしよう」
ある意味達成し続けてはきた
それ以降、私はさらに頑張ります。
頑張った結果、その1年後。入社して3年後に、体調を壊して退職しました。
私の退職後、私がやっていた仕事は2人体制に再編されました。
そして私が掲げていた目標はある意味、20年近く達成され続けていたと思います。
その会社以降、様々な会社に正社員として入社し転職していきます。うつ病で退職した一番最後の会社まで、私の仕事は2~3名体制に再編されていきました。私がいなくなったことで、プロジェクト自体が中止になるようなこともありました。
そして、私はこれを「誇り」にすら思っていました。うつ病になるまでは。
本当の意味
このカードに書かれた言葉の本当の意味は、皆さんなら最初からお分かりだと思います。私のように、期待に応えることで自分を保っている、間違った責任感や間違った自己肯定感の権化でなければ。
私はそれに気づくのに約20年かかりました。カードを渡してくれた先輩は、本当に私のことを思って渡してくれたのだと思います。私がどれだけ頑張っても、喜ぶのは会社です。1人分の給料で、2人分も3人分も働いてくれる、給料の数十~数百倍もの業績を確保してくれる都合の良い人材だったと思います。
そして、会社でどれだけ頑張っても必ず代わりはいます。実際私がいなくなっても、80億の売り上げが40億になろうが、私1人の仕事が2人の仕事になろうが、会社は回り続けているのです。
どんなにすごい偉人がこの世からいなくなっても、人類は滅ぶことなく世の中は変わらず回り続けるのと一緒です。
人生の責任
うつ病で自分の人生を振り返った時、会社や部署の責任者としては有能な点もあったかもしれません。
ただ、自分の人生は「責任者不在」の状態だったのだと思います。
自分の人生、自分の生活の責任者は自分しかいません。
自分の船は自分で舵を取る。当たり前のはずですが、私は握る舵を間違えていました。代わりに操舵する人がいる船を必死で操縦し続けて、自分しか握ることができない舵は手放し運転だったのだと思います。
うつ病になったことで、それに気づけたことは大収穫です。
まだ、自分の人生が終わる時に「いい人生だった。」と言うための時間は残っています。
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