今回はひげについてのお話をしていきたいと思います。
なぜ日本人はアメリカに行くとひげを生やすのか
シアトルの生活
私は、20代の頃にシアトルに留学をしていました。
それまで私は名の知れた企業で働き、月に2~3度の出張時には送迎や荷物持ちがいるような生活を送っていたのですが、体調を崩し退職しました。
その生活は自分の力ではなく、会社や役職の力だということは気づいていました。そこで、一旦すべての感覚をリセットするために、誰も知らないシアトルに行くことにしたのです。東海岸の大都市も魅力的でしたが、必要な費用がかなり違いました。西海岸の方が割安でしたし、これまで頑張って稼いだ資金があるとは言え、次の収入の当てがない身だったのでシアトルを選びました。その頃はイチローも、城島健司も、大魔神佐々木もシアトルで活躍していましたし、親近感はありました。
知らないアジア人とシェアハウスをし、自転車と公共バスで移動をしました。学校の授業を受け、放課後は同じクラスの台湾人と出かけたり、韓国人と夜通し職業について語り明かしたりしていました。
それまでの会社の中だけの権力とは一切切り離された生活は、正直新鮮で本来の自分であるかのように感じました。
アジア人は幼く見られる
その生活の中で、私はよく中学生と間違われました。元々アジア人は幼く見られるようです。そして、私は日本人の中でもベビーフェイスと言われる類の顔立ち。身長も165センチ、55キロと、アジア人の中でも小柄です。実年齢を言っても信用してもらえず、「飛び級でもしてきたのか。」とよく笑われていました。
英語の発音は拙く、ネイティブからすれば子どものような発音。にもかかわらず、日本の大学時代にイギリス文学を専攻していた関係で、使う英語は古めかしいイギリス英語。異様なアジア人だったと思います。「大学教授と話しているみたいだ。」と爆笑されたことも度々あります。
日本語であれば、舌足らずの子どもが「拙者、お腹がすいたで候。」と言っているような感じだったのではないでしょうか。
そんな状況だったので、私のアメリカンネームは「Michael(マイケル)」だったのですが、誰もが「Mikey(マイキー)」と呼びました。大人のニックネームは一般的に「Mike(マイク)」です。20代後半の私を呼ぶのであれば、「Mike(マイク)」が通常です。「Mikey(マイキー)」は、アメリカ人の中では中学生くらいまでの愛称であって、それ以降は幼馴染が呼ぶくらいだと、教授が教えてくれました。そういう教授も私のことをマイキーと呼び続けていましたけど。
ひげを生やす心理
私はひげがまったく似合わないので、生やそうと思うことすらありませんでしたが、クラスメイトの中国人や台湾人、韓国人は次々とひげを生やし始めました。
彼らに「なぜ?」と聞くと、「大人に見られたい」「なめられたくない」という言葉が返ってきました。私は興味深いなと思い、どういう心理なのか調べてみました。
権威・威厳・成熟の象徴
ひげは、古くから権力や知恵の象徴とされてきました。
進化心理学の観点から見ると、ひげは性的選択と種内競争において重要な役割を果たしてきました。
ひげは男性ホルモンであるテストステロンの影響を受けて成長するため、成熟度や生殖能力の高さ、そして体格の大きさを潜在的に示唆するサインとなります。そこで他者に対しては支配性や攻撃性を誇示し、異性に対してはより成熟した、健康的な相手であることをアピールすることができるようになります。これは本能的なもので、無意識的な行動と見なせます。
そして、ひげは第二次性徴によって生えることから「男性性の象徴」という面もあります。ひげを生やすことで自分の男らしさやワイルドな一面が強調できると考える男性も多いのではないでしょうか。
社会的アイデンティティと帰属
社会心理学的には、ひげは個人が所属する集団や文化的なアイデンティティを表現する手段です。特定のスタイル(例えば、整えられた口ひげ、無精ひげ、フルビアード)は、特定の文化やライフスタイル(例えば、冒険家、芸術家)への帰属意識を示すことがあります。
これは、他者に対して「私はこういう人間です」というメッセージを伝え、自分と共通の価値観を持つ人々との結びつきを求める心理に基づいています。アメリカ人のクラスメイトにはひげを生やしている友人が多くいました。そのような集団に所属していて、自分も同じような行動をとることで無意識に帰属意識を示している可能性もあります。実際、私がシアトルにいた頃はアジア人というだけで差別されていたり、扱いが違うことも多々ありました。
「私はアメリカの文化に順応していますよ。」というアピールだった可能性もあります。
個性の表現と自信
ひげは、個人の自己概念や自己評価に深く関わっています。ひげを生やすことは、自らの男らしさを強調し、自己を強く、成熟した存在として認識するための手段となり得ます。
これは、他者からの承認を得るためだけでなく、自分自身の自信を高めるための行動でもあります。特に、人生の転機や自己変革を経験している時に、外見を変えることで新たな自分を確立しようとする心理が働いている可能性もあります。
一緒にいた留学者は何かを学ぼう、何かを変えようとする人が多く集まっている印象でした。なにかのターニングポイントにすべく、模索していたのかもしれません。
見た目って、自分も騙せるのかも
偉い立場になった途端にひげを生やし始める人っていますよね。意識的なのか、無意識なのかは分かりませんが。
それと一緒で、私のまわりにいた友人たちはアメリカに順応していることをアピールしていたり、「あなたが思っているほど幼くないよ」「私は強い人間だよ」というアピールをしていたのかもしれません。
実際アメリカ人とアジア人では、体の大きさも違うし意志のアピール力も違う。正直、自信を喪失しそうになります。
相手の文化の中で必死に生きようとする中で、自分を奮い立たせる、自分に自信をつけさせる、自分は今までの自分とは違うんだと言い聞かせて意識するという点においては、ひげを生やすという行為は理に適っているように思います。
メジャーリーグに挑戦した選手を久しぶりに見ると、ひげが生えていたりします。もちろん単なるファッションの可能性も十分にありますが、彼らのひげを見る度にシアトルにいた時のことを思いださずにはいられません。
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