多くの人は、自分の中にある違和感を
「まだ整理できていない感情」だと思っている。
言葉にできないのは、未熟だから。
説明できないのは、理解が足りないから。
そうやって、いずれ言語化できる日が来ると信じている。
だが、もし――
何年経っても、何度考えても、
その違和感だけが説明できないまま残り続けているとしたら。
それは本当に、未整理な感情なのだろうか。
「ずっと前から気づいていた」感覚
思い返してみてほしい。
こうした感覚は、多くの場合こう扱われてきた。
「考えすぎだよ」
「気にしすぎじゃない?」
「まだ起きてないことを心配しすぎ」
そしてその言葉は、
あなたの感覚そのものではなく、
“あなたの捉え方”を問題にする。
結果として、こう学習していく。
この感覚は、出さない方がいい
言語化できないなら、黙っていた方がいい
ここで重要なのは、
違和感が消えたのではなく、
表に出なくなっただけだということだ。
なぜ、この違和感は消えなかったのか
時間が経てば、忘れる感覚もある。
経験を積めば、自然に整理される感情もある。
しかし、この違和感は違った。
環境が変わっても
立場が変わっても
年齢を重ねても
同じ質感で、何度も立ち上がってくる。
これは、感情ではない。
トラウマでもない。
思い込みとも少し違う。
ここで、ひとつの仮説を置いてみる。
それは「気持ち」ではなく、
世界の受信のされ方そのものだったのではないか。
問題は「考えすぎ」ではなかった
一般的に、人は世界をこう受け取っている。
だが、もしこの取捨選択のフィルターが弱かったらどうなるか。
すると何が起きるか。
「まだ言語化されていない段階の違和感」を
先に受信してしまう。
これは、思考の問題ではない。
性格の問題でもない。
世界の入力段階の話だ。
言語化できなかった理由
あなたが抱えてきた違和感が
説明できなかった最大の理由は、ここにある。
それは「意味」になる前の段階で、
すでに立ち上がっていたから。
言葉は、意味が整ってから生まれる。
だがこの違和感は、
意味が整うよりも前に、
構造として立ち上がっていた。
だから、
というズレが生まれる。
あなたが黙っていたのは、
怠慢でも諦めでもない。
言語の順序が追いついていなかっただけだ。
「気づいてしまう」ことの孤独
この種の感覚を持つ人は、
ある特徴的な孤独を抱えやすい。
- まだ誰も問題にしていない段階で気づく
- だから共有できない
- 共有しないから、評価もされない
結果、
わかっているのに、
何もしていない人に見える
という位置に置かれる。
だが実際には、
内側ではすでに処理が始まっている。
ただ、その処理は
外から見える形を取らないだけだ。
このシリーズで扱うこと
ここまで読んで、
もしどこかに引っかかる感覚があったなら。
それは共感ではない。
同意でもない。
「ああ、これだったのか」という
認識の回収だ。
このシリーズでは、
を、能力論でも、性格論でもなく
構造として整理していく。
まだ名前は与えない。
ラベルも貼らない。
まずは、
起きていたことを正確に見るところから始める。
次回予告
次の記事では、
「同じ場所にいるのに、別の景色を見ている」
という感覚について扱う。
それは孤立ではなく、
ズレでもなく、
受信している世界の層が違うという話だ。
シリーズ:ギフテッド的視点
第2回:人と同じ場所にいるのに、別の景色を見ている感覚について
