役に立つかどうかで、語りは裁定され始める―― 意味が「交換条件」に変わるフェーズ

行動学・人間理解(Human Insight)

人は、自分の内側で完結しているあいだ、
どんな語りでも持つことができる。

それが正しいか、整っているか、深いかどうかは、
ほとんど問題にならない。

しかし、その語りが社会に差し出された瞬間
評価軸が一つだけ立ち上がる。

―― それは、役に立つのか。

このフェーズで起きているのは、
語りの否定ではない。
語りが、交換可能な形に変換され始めるという現象だ。

語りは「理解される」前に、「使えるか」を問われる

社会は、語りを味わわない。

社会が最初に見るのは、

  • それで何ができるのか
  • それは誰の役に立つのか
  • それは再現可能か

という、機能としての側面だけだ。

ここで多くの人が違和感を覚える。

こんな浅い形にされるために、
ここまで考えてきたわけじゃない。

その反発は自然だ。
だが、このフェーズで起きているのは、
「浅くされた」のではなく、
意味が、社会用の単位に圧縮されているだけである。

自己は「意味」ではなく「条件」で成立し始める

この地点から、自己の成立条件が変わる。

それまでの自己は、

  • 納得できるか
  • 腑に落ちているか
  • 自分の中で一貫しているか

で保たれていた。

だが社会に出ると、
自己は次の条件を満たすかどうかで成立する。

  • 他者の時間を使うに足るか
  • 他者の判断を助けるか
  • 他者の行動を前に進めるか

ここで初めて、
自己は「社会的に成立しているか」という問いに晒される。

語りが壊れるのではない。試験台に載せられる

このフェーズを
「語りが壊される段階」だと誤解する人は多い。

実際には逆だ。

壊されているのは語りではなく、
語りを守っていた内的な無条件性である。

  • 分かってもらえなくてもいい
  • 自分が納得していればいい
  • 深さは、いつか伝わる

そうした前提が、
社会の場では一度、解除される。

語りはここで初めて、
現実耐性を試される対象になる。

役に立たない語りは、間違っているのか?

ここで生じやすい二項対立がある。

  • 役に立つ=浅い
  • 深い=役に立たない

だが、これはフェーズの混線だ。

社会は、
「深いかどうか」を測っていない。
測っているのは、
今この場で、機能するかどうかだけである。

深さは否定されていない。
ただ、未翻訳なまま置かれている

このフェーズの本質

この段階の本質は、こう言い換えられる。

語りは、
「わかってもらえるか」ではなく
「使われるか」という問いに置き換えられる。

そしてこの問いに直面したとき、
人は二つの分岐に立つ。

  • 語りを捨てる
  • 語りを、社会用に再構成し始める

次のフェーズで起きるのは、
後者を選んだときにだけ生じる現象だ。

次稿予告

次稿では、
意味が「売られるもの」「評価されるもの」へと変わり、
自己が価値と結びついていくフェーズ
を扱う。

そこで初めて、
語りは価格を持ち、
比較され、
選ばれる対象になる。

語りはまだ壊れていない。
だが、守られてもいない。

次のフェーズでは、
その語りが、
どのように「価値」と誤読され始めるのかを見ていく。